私達の貴重な財産をトイレに流す官僚達
2009年7月12日
宇佐美 保
7月4日の朝日ニュースターの番組「パックインジャーナル」にて、“現在、役所ではどんどん書類を廃棄している”との発言を耳にして驚愕しました。
そして、出席者の多くの方々も“書類の保存期限などを廃止し、書類は廃棄せず、コンピュコンピューターの発達した今、ーター内に保存すべきであるる。”との声を上げていました。
私は、先の拙文《歴史は私達の貴重な財産です(瀬島氏、9.11同時多発テロ)》には、次のように記述しました。
科学の世界では、次に起こるべき事象は、理論的に推測できます。 そして、この理論は、多くの実験から、又、観察された現象から確立されます。 (ですから、私は新たな電磁気学(『コロンブスの電磁気学』)を確立するために多くの実験を繰り返しています) しかし、社会的現象を予測する為の科学理論のような理論はありません。 なにしろ、社会的現象を実験する事は(人道的に)不可能なのですから! そこで、その理論の代わりに「歴史に学べ」の言葉が存在します。 ・・・ |
更には、次も再掲させて頂きます。
東京新聞(2007年8月14日)に掲載された、保阪正康氏(ノンフィクション作家)の対談記事を・・・
(その一部を抜粋させて頂きます)
豊田 なぜ記録が十分でないことをいいことに、史実がなかったと言いだせる風潮が強まるのでしょうか。 保阪 これは安倍さんがつくり出した政治的潮流の一環だと思います。政治指導者の発言によって、それにつながる歴史観は勢いを持ちます。同時に、安倍さんを支える国民の側にも不勉強さや鈍感さがあります。従軍慰安婦問題でも、われわれには軍の関与を示す資料はないと言う資格はありません。なぜかというと、昭和二十(一九四五)年八月十四日の閣議で、行政や軍事機構の末端まで、資料を焼却せよという命令を出したんですね。全部燃やしているわけですよ。日本の戦争に関する資料はほとんど残っていない。戦争責任の追及を恐れたんでしょうが、次の時代に資料を残して、判断を仰ぐという国家としての姿勢が全くなく、燃やせということを平気でやる。そうしたことを知らないスカスカの歴史認識、史実に対する不勉強を、国際社会に対して平気で言う神経は僕には信じられません。 |
ですから、私は、テレビの中のパックインジャーナルの方々と共にテレビの前で憤慨していました。
そして、その番組には、朝日新聞シニアライター山田厚史氏も同席してしていましたから、次の朝日新聞(2009年7月11日)記事が生まれたのかもしれません。
その記事をインターネットで目にして腰が抜けました。
60年の日米安保条約改定にともなう「核密約」関連文書の破棄を幹部が指示していた――。国民への説明責任をないがしろにする姿勢が朝日新聞の取材で明らかになった外務省。その廃棄文書の量は省庁の中で突出している。しかも、01年の情報公開法の施行前に急増し、その後は減るという「駆け込み」だ。情報公開を求める団体は「法の施行を前に、入念に準備して捨てた疑い」を指摘する。 中央省庁が機密文書を処理する主な方法は、(1)書類ごとにシュレッダーにかける(2)書類を詰めた段ボールごと大型機械で破砕する(3)書類を水に溶かして固まりにする――の三つだ。 例えば法務省は、まず、地下にある大型シュレッダーで書類を刻む。それを回収業者が工場に運んで水に溶かしている。(1)と(3)の合わせ技だ。他に、(1)を徹底して粉状になるまでシュレッダーにかけている省もある。 外務省は(3)だ。関係者によると、地下にある大型機械で、機密文書を水に溶かし、紙粘土の粒のような固まりに加工する。処理能力は1日約2トンという。 書類と水を半分ずつの割合で混ぜ合わせる→パルプ繊維がほどけて書類の形が崩れる→文字が見えなくなったところで、パチンコ玉ほどの大きさに丸める→回収業者に引き渡すという手順だ。これを引き取った業者はトイレットペーパーなどに加工。その一部は再び省内で使われているという。 こうした中央省庁による文書廃棄の実態を知ろうと、NPO法人「情報公開クリアリングハウス」が情報公開法を使って、各省庁の00年度の廃棄量を分析したところ、最も多くの文書を捨てていたのが外務省だった。約1280トン。2番目の財務省(約620トン)と比べてもケタ違いに多かった。00年度は、同法の施行直前にあたる。 さらに外務省の年度ごとの廃棄量をみると、97年度は約200トンと他省庁並みだったのに、法案が成立した99年度から急増。00年度にピークに達するが、01年度以降は再び減少傾向になる。 クリアリングハウスの三木由希子理事は「法の施行を前提に『公開を迫られるくらいなら捨ててしまえ』と入念に準備した可能性がある」と指摘する。 60年の「核密約」関連文書問題と同様に、72年の沖縄返還に伴って日米間で交わされたとされる「密約文書」をめぐる情報公開訴訟を手がける小町谷育子弁護士は「国民への説明責任も果たさずに、重要な文書を捨てるという行為は許し難い。政策の検証もできないまま、真相はやぶの中だ。国民が怒りの声をあげないと、同じことが何度でも繰り返される」と話す。 外務省は、再三の取材申し入れに対し、「担当者から連絡させる」としたまま、10日夜までに回答しなかった。(谷津憲郎) ■歴史に対する冒涜 石井修・一橋大名誉教授(外交史)の話 米国では、政府高官の電話での会話すらテープにとったうえで公文書におこして残す。内容を非公開とする場合でも、文書そのものが存在することは明示される。「公文書は国民のものである」という真摯(しんし)な態度があるからだ。それに引き換え、今回のように、公文書を捨ててしまえと指示するなどというのは、歴史に対する冒涜(ぼうとく)であり、納税者に対する犯罪である。怒りがこみ上げてくる。 |
全く、石井修氏の談話に全く同感です。
更に付け加えさせていただきますと、「公文書は国民のものである」どころではなく「公文書はわが国だけでなく全世界の人々にとっての財産」でもあります。
そして、小町谷育子弁護士のおっしゃる「国民が怒りの声をあげないと、同じことが何度でも繰り返される」通りです。
ですから、今大急ぎでこの拙文を纏め上げました。
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